ゴッホ展、予習ですでに魂が震えた体験

あわい日記

今回はゴッホについて書こうと思います。

なんでゴッホかというと、
今度ゴッホ展を観に行くから。
……まだ行ってません(笑)。

ゴッホは昔から好きで、展覧会があれば、行ける時は行っていました。
彼の絵には言葉にできない『何か』を感じていたんですよね。

今回は、もう少しゴッホのことをちゃんと知ってから観に行こうと思い、
ポッドキャストでCOTEN RADIOのゴッホ回を見つけたんです。

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その時は、まだこんな体験になるとは思っていませんでした。


予習のつもりが、とんでもないものを聴いてしまった

聞き終わった瞬間、
「どーすんのこれ。今度、展覧会行くんだけど……」
と本気で思いました。

ポッドキャストを聞いて泣いたのなんて、人生で初めてです。

でも同時に、
「聞かせてくださってありがとうございます」
と、心から思いました。


私が思っていたゴッホと、違ったゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ。
めちゃくちゃ有名な画家ですよね。

耳を切った話や、異常さが強調され、
「狂気と情熱の画家」と語られることも多い人。

でも、私が感じたゴッホはこうでした。
• めちゃくちゃ真面目で
• 誠実で
• 人を愛そうとして
• でも不器用で
• 世界とズレ続けた人

精神疾患もあったのだと思います。
けれどそれ以上に、生き方があまりにも不器用だった。

自分の中に強烈な理想や世界がありすぎて、
目の前の「他者」がどう感じるか、という視点が
どうしても欠けてしまっていた人。


支える人たちの物語に耐えられなかった

そして、ゴッホを語るうえで欠かせないのが、
彼を支え続けた人たちの存在です。

兄ゴッホを愛し、才能を信じ、献身的に支え続けた弟テオ。
それに応えたいのに、応えられないゴッホ。

挫折、生きづらさ、疎外感。
それらが、じわじわと彼の心を蝕んでいったのだと思うと、
胸が痛くて仕方ありませんでした。

彼がここまで有名になった背景を知ったとき、
鳥肌が立ちました。


ずっと感じていた「アレ」の正体

すべてを聞き終えたあと、
スマホの画面に表示されたコテンラジオのプレイリスト。
そこにあったゴッホの自画像を見た瞬間、
涙が止まらなくなりました。

ゴッホの絵を見て、
ずっと感じていた、あの説明できない感情。

その正体を、
暴かれてしまったような気がしたのです。

これまでは
「力強い筆致」
「鮮やかな色彩」
として見ていたものが、

実は、
世界と繋がろうとする必死の叫びであり、
祈りであり、
そして彼を愛し抜いた弟テオとの
共同作業の結果だったのだと、気づいてしまいました。


ゴッホと、私の生き方

私の生き方の理念は、
「足るを知る生き方で、ある程度自分を満たせたら、他者に手を伸ばす」
というものです。

それに対してゴッホは、
「自分を満たす」余裕がないまま、
魂の渇きを埋めるために表現へと突き進み、
結果として「他者」を置き去りにしてしまった。

圧倒的に、不器用すぎる。

「無理な自己犠牲はしない」というバランスを崩すことが、
どれほど苦しいのか。
ゴッホはそれを、逆説的に教えてくれた気がします。


「一人の人間が生きていた証」に会いに行く

今度私は、
「一人の人間が、そこに確かに生きていた証」
に会いに行く。

もう、
「楽しみ」とだけでは言えなくなりました。

それでも、
彼が叫び続けた愛や孤独を、
ちゃんと受け止めたいと思います。

このブログで書いた感情は、
コテンラジオを聴かなければ、生まれませんでした。

この体験をくれたコテンラジオに、心から感謝します。

ゴッホをもっと知りたい方には、
ぜひ聴いてほしいです。

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